今回は、江戸時代の日本美術の一流派である「狩野派」について紹介したいと思います。狩野派とは、室町時代中期に始まり、明治初期まで続いた日本絵画史上最大の漢画系画派です。狩野派は、室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、その子孫や弟子たちは、織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕え、内裏、城郭、大寺院などの障壁画から扇面などの小画面に至るまで、あらゆる分野の絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼしました。狩野派は以下のような特徴を持っています。
目次
狩野派の特徴
- 漢画とやまと絵の融合
- 狩野派は、中国宋・元の水墨画を基調としながらも、伝統的な日本のやまと絵の要素も取り入れていきました。
- 漢画は筆の輪郭線を重視し、色は淡彩。やまと絵は細い輪郭線に、濃く絵の具を塗ります。
- 狩野派はこの両者の手法を使い分けたり、組み合わせたりして、新しい感覚を示しました。
- 粉本という教育システム
- 粉本とは絵師が制作の参考にするための古画の模写や写生帖の総称です。
- 狩野派では粉本を多く持ち、弟子たちに学ばせることで、絵師の基礎訓練として重要な役割を果たしました。
- 粉本があるからこそ、多くの弟子を教育することができました。そして、高まる需要にこたえて全国に絵を提供することができたのです。
- 血族関係を主軸とした画家集団
- 狩野派は親・兄弟などの血族関係を主軸とした画家集団でした。
- 狩野家の当主は一門の絵師たちを率いて集団で制作にあたり、流派存続を第一とする職能集団でした。
- 狩野家は江戸時代に入ってからも分家が多く生まれ、それぞれが幕府や大名などに仕えました。
狩野派の代表的な絵師
- 狩野正信(1434年? – 1530年)
- 狩野派の祖であり、室町幕府8代将軍足利義政に仕えた御用絵師です。
- 漢画ややまと絵双方の画題や手法をこなし、武家の好みに応えました。
- 現存する確実な作品は掛軸などの小画面に限られています。
- 狩野元信(1476年 – 1559年)
- 正信の嫡男であり、幅広い層のニーズにこたえるため、工房としての絵のスタイルを確立しました。
- 漢画様式にやまと絵の手法を取り入れて両者の融合を図りました。
- 桃山障壁画における狩野派の画風と活躍の基礎を築いたといわれています。
- 狩野永徳(1497年 – 1544年)
- 元信の孫であり、安土城や大坂城の障壁画を制作した名手です。
- 豊臣秀吉や徳川家康などに重用され、狩野派の地位を高めました。
- 色彩豊かで華麗な画風が特徴です。
- 狩野探幽(1602年 – 1674年)
- 永徳の孫であり、江戸城や二条城などの障壁画制作を指揮した総師です。
- 江戸幕府の御用絵師として、京都から江戸に本拠を移しました。
- 水墨を基調とした清冽な画風が特徴です。
以上が狩野派の概要です。狩野派は、日本絵画史上最大の漢画系画派であり、約400年にわたって日本の画壇をリードしました。狩野派の作品は、東京国立博物館や京都国立博物館などで見ることができます。ぜひ一度ご覧になってみてください。
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